概要
・懐かしさとは
・茉莉花(まつりか)
・ギョサン
・サル&カメ
・結論:懐かしいもの
懐かしいものとは
「笑うことは周波数をあげます。」
それを言った人の次の言葉は、
「これ(最悪の時に笑うというテクニック)は武道です。」
そこで、イメージしてしまったのは、
三船敏郎もしくは丹波哲郎が浪人姿で大笑いするビジョンだった。
実はこのお二方の映画の出演作は何かを全く思いだせない。いや、知らないのかもしれない。
でも、丹波哲郎の方は西部劇でこんな1シーンが実際にあったのを見たかもしれない。
なぜそんなイメージが出たのだろう?
今の俳優やドラマの主人公にそのぴったりの人がいないから?
草彅剛も寺脇康文も違う、ピンとこない。
ドラマ「フィクサー」の唐沢寿明の役:設楽はやりそうだけどきっともっと含みのある笑い方をするだろうから違う。
やはりぴったりくるのがその二人だけだったからかもしれない。
子供の頃の私は「おばあちゃんこ」でいつも祖母と一緒に時代劇を観ていた。
だから記憶の彼方から出た想像:イメージだったのかもしれない。
彼らのお二方の名前だけで懐かしいと思う人はいるかもしれない。
でも、私にとっては懐かしさはない。記憶のどこかにあったただのデータだ。
今はもう建て替えられて存在しない子供の頃の家での夢を観ることがある。
目が覚めた時、懐かしいというよりも、タイムトラベルから戻った感じだ。
夢の中で感じていたぬくもりをまだ感じているが、
実際には「夢」ということを頭ではわかっているので、
その夢の余韻は、今に意識を合わせることで自然に消えてゆく。
過去をすごく身近に感じることもある。
今の意識が未来を変える感覚もある。(今の延長線上とは違うパラレルへハンドルをきる感じ)
同様に今の意識が過去を変える感覚もある。
今の意識が過去と未来を統合して すべてが今になる。
それは魔法使いになること。これは魔法使いの Timelessness :永遠だ。
過去も未来も自分と共にいるなら、すべてが今なら「懐かしさ」は、存在しない。
つまり、今だけが実態。それ以外はすべてまぼろし。
でも、普通は魔法使いであることばかりを選択しない。
現実と幻を行ったり来たりしながら人は生きる。過去が遠くなり、忘れ去られ、
何かのきっかけで思い出して、再び、手に取った時に懐かしさを感じる。
私にとって「懐かしいもの」は何か?
茉莉花(まつりか)
毎年5月ごろ、茉莉花(まつりか)の香りで、御蔵島を思い出す。
10年以上前(2010~2012年ごろ)の5月、
赤ちゃんイルカを見た感動のドルフィンスイミングから宿に帰る途中の坂道の民家の庭先に茉莉花の香りが辺り一面に匂っていた。
そのドルフィンスイミングの仲間8人で夜の散歩に行き、
御蔵島ヘリポートで皆で寝転んで星を見た。天の川、人工衛星、皆のおしゃべり、
その時も、茉莉花の匂いがどこからともなく香っていた。
生まれたばかりのイルカはしわしわでお母さんイルカにくっついておよぐ。
とっても可愛い!でも、ちょっとでも近づこうとすると、この親子の親衛隊の
お姉ちゃんイルカ達が目の前をふさぐ。そのチームワークには驚かされる。
赤ちゃんイルカのしわしわは「胎児しわ」。
お母さんイルカのおなかの中でコンパクトに縮こまっていた時の痕跡で、
1か月位で消えるそうだ。だから、しわしわ赤ちゃんイルカは生まれてほやほや。大切に見守ろう。
赤ちゃんイルカは生まれてすぐ泳いでいるように見える。実はお母さんイルカの泳ぐ水流に乗っているだけだそうだ。ゼッタイ泳いでるように見えるのに!。
御蔵島は島をあげて、イルカ達を見守り、イルカの環境を守っているのを島に行くと感じる。各民宿には提携している船頭さんとイルカツァーのガイドさんがいる。
御蔵島の船はみんな小舟だ。小回りが効いて、大きなエンジン音でイルカ達を怖がらせることはない。
海に入るときはフィンを立ててフィンさきから静かに入るように言われる。これも音に敏感なイルカを守るためだ。
10年以上も経っているのに昨日のように、記憶も、感じたことも蘇ってくる。
ギョサン
この前の日曜日、東京湾夜景クルーズで竹芝桟橋ターミナルの売店に寄ると、
カラフルなギョサンがたくさん売っていた。
ギョサンとは、プラスティック一体型で草履スタイルのサンダルで、鼻緒が抜けない、とても丈夫、水に強いことから、’60年代後半に小笠原諸島から漁業従事者から
伊豆諸島の漁業従事者に伝わり、さらにマリンスポーツをする人にも広がり、今は一般の人たちにも愛用されているものだ。
私が初めてギョサンを買ったのが御蔵島の町営の宿だった。
仲間と何色にするか楽しく選んだこと、それをはいて、様々な海へ行ったことを思い出した。自宅玄関にいつもおいてあってもただそれだけなのに、埠頭ターミナル売店という場所は御蔵島、八丈島、神津島を同時に思い出すところだからかもしれない。
サル&カメ
前回のブログでサルビア丸のことを書いている時に、YOUTUBEで以前のサルビア丸の映像を見つけた。これが何代目のサルビア丸なのかを調べて、「サルとカメ」を思い出した。サルは2代目サルビア丸、カメは、かめりあ丸だ。当時、海の仲間たちとよく乗っていた船はこれらだった。船のテーブルで話や食事をした記憶が蘇る。
そして、特2等船室、2段ベッド席でカーテンで個室に仕切られる船室。今のサルビア丸の特2よりもかなりせまかった。そこでふざけて遊んでいた当時の仲間の姿が、蘇る!
2代目年サルビア丸は1992年から2020年まで主に大島、神津島航路を就航。
かめりあ丸は1986から2014年まで主に三宅島、御蔵島、八丈島航路を就航。
2014年スーパーエコロジーシップの橘丸にバトンを譲った。
サルカメ2隻とも2013年にシャワー室が設置されている。
(私の記憶にあるシャワー室があるのは小笠原丸だけだった。でも、2022年御蔵島に久々に行った時、知り合った人に、前のサルビア丸にもシャワーがあったと聞いて、変だなと思った謎が解けた。私は2013年よりも前にもう行かなくなっていたのだ。)
2代目サルビア丸は引退後、バングラデシュに売られ、今はそこで就航。
かめりあ丸は引退後、インドネシアに売られ、今もそこで就航しているそうだ。
結論:懐かしいもの
懐かしいものは、何年たっていても、当時のままの感覚、感情、記憶をありありと蘇らせるもの。
つまり、過去という幻の領域から、今現在ここに、懐かしいものに関係するものすべて感覚、感情、記憶を抜き出し、今ここの現実に持ってくる道具:ツールなのだ。
マジカルツール!
その懐かしものはなぜ今に来るか?
おそらく何かしらの自分にとって、今の現実に役に立つからにほかならない。
懐かしいもの、それは単なる過去のデータを、今に役立てる感覚、感情、記憶としてを蘇らせ再利用できるようにする事で、新たなる自分の本当に望むことへのパラレルスイッチの行き先を明確にして焦点を合わせるきっかけになる。
「懐かしいもので元気になれた」それもパラレルスイッチ!
「仲間を思い出して、また新たなる仲間をつくろう!」それもパラレルスイッチだ。
「またイルカに会いたい」そこから始まる湧き上がる想いは何か?
懐かしいものは過去からギフトだ。そのギフトを活かそう!
過去のもので懐かしいと思わないものはたくさんある。たくさんのデータ。
たくさんのデータ中で「懐かしい」と自分自身にサインを送ることで、
ギフトがアピールをする。
「懐かしさ」はtimelessness:永遠の魔法の道具。
懐かしいもの:過去からのギフトを有難く活かそう!
では、白い惑星の魔法使い:真愛菜でした。
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