概要
・トルコの青い目玉
・紀元前からのお守り:ナザール・ボンジュウ
・自身を守る責任
・中国のおばあさんの話
・八卦鏡
・ミラーボールマジック
・香りの魔法
トルコの青い目のお守り
街の催事場の洋服の片隅におもしろかわいい!指輪をみつけた。
アイラッシュ付きの青い目玉の指輪。
リングの色はゴールド、材質はステンレス。トルコ製。
このトルコの青い目玉は今までも物産展とかでよく見た。お守りとして知られている。
でも、アイラッシュ付きの指輪は初めて見た。
後から知ったことだが、トルコの人は、恋人に目玉付きのアクセサリーをプレゼントするという。他の異性からの視線を向けられないように、
他の異性の視線から守られるようにと。自分だけが唯一の異性でいられるようにと。
私は自分のためにこれを買ったので、私の場合、異性は関係ない。
素敵だから身に着けるけれど、それがお守りの役目を果たしてくれて、私の邪魔をしなければそれでいい。
紀元前からのお守り:ナサールボンジュウ
この青い目玉のお守りはトルコではナサールボンジュウ、ヨーロッパでは、イーブル・アイ(魔眼)といわれている。ナサールは、アラビア語由来の言葉で、視覚、監視、注意およびそれに関連する事を意味する。ボンジュウはビーズを意味する。
「他者からの妬みの眼差しが、不運をもたらす」と
中東をはじめとする広い地域で信じられ、それに対抗するものがナサールボンジュウだった。なんと、その歴史は古く、紀元前からあった。
邪気というと、日本人は邪の「気」をイメージするが、中東のひとは、邪の「視線」を恐れたようだ。
主な邪の視線は、妬ましい(ねたましい):うらやましく思い、うらむこと、やきもちをやくこと。
その人に代わりたいと思う気持ち。これらから出る他人の視線が邪の眼差しなのだ。
この妬み、羨ましさ、の視線をナサールボンジュウがその目玉で引き受け、持ち主をその視線から外して守る。もしそれで、ナサールボンジュウが壊れたら、持ち主はそれで守られたとして喜ぶ。
昔の人は、このような邪の眼差しから子供を守るために、わざと子供にみすぼらしい恰好をさせたという。
自身を守る責任
それは、今の時代でもまだ、たまにあることかもしれない。
面倒な相手でも付き合っていかなければならないと思っていたときは、その相手以下の自分を演出した方がスムーズに物事が進むと思っていた。
しかし、それは、自分自身を、自分以下の価値観にみずから落とし込む事がなる。
みじめな振りは演技とわかっていても、重いし、息が詰まり、その後の落ちた所から本来の自分に這い上がる復活のための時間とエネルギーが必要となる。
さらに、演技時間が長く成ると戻るべき本来の自分に迷子になることもある。
だから、もうそんな危険な演技や演出はするべきではない。
そこまでしなければならない関係のおかしさに気付く時だったのだ。
本来、人はなんでも自由に選べる。たとえ、家族でも自分を傷つける関係であれば、
距離をとるなり、関係を断つなりして、
「自分自身をまず守ること」が自分自身としての責任だ。
本来の自分自身でいられることが、人生の最重要事項なのだ。
自分らしくいるために、目玉のお守りが心強い気持ちにしてくれるなら、
効くか効かないは別にしても持つ価値はあるだろう。
それで効果あったならなお有難いことだ。
中国人おばあさんの話
もしも、レストランで他のテーブルのごちそうが美味しそうだったなら、それと同じものを注文するし、欲しいものがあったら、自分用にそれを注文したり、買うのが当たり前で普通の事だと思っていたが、そういう感覚は日本人だから??と思ったショックな出来事があった。
コロナ収束後、鎌倉から腰越に行くのに乗った江ノ電は、中国人や韓国人などのアジア系の外国人ばかりで込み合っていた。聞こえる言葉は???まるで外国?だった。
私は手首に強い視線を感じた。すると、その視線の主は、中国人のおばあさん。
3世代の家族旅行で総勢10人くらいのグループの年長者のようだった。すごい気合の入りようで、私の手首のブレスレットを家族の代表で(?!)奪う気満々で狙っていた。
すごく怖かった!もしもその家族がもっと多く、おばあさんがもっとゴットマザーだったら為す術もなく、力づくで、ブレスレットを盗られていただろう。
私はリュックからアームカバーを出して、ブレスレットを隠し、日傘のストラップをその上から巻き付けガードした。それでも腰越で降りるまでずっとその視線を感じていた。
おばあさんは目の前のものが欲しかったら、同じものを買うという発想がないのか、手っ取り早く、他人のものをゲットするとしか考えられない様子だった。
油断のできない恐怖の十数分だった。
八卦鏡
昨年の春、私の住むマンションで、隣人の親子が引っ越し、新たな住人が引っ越してきた。
その住人は、音に敏感なのか建物に問題があるのか、私の固定電話のコール音や、電話での会話、さらにキッチンでのまな板で野菜を切る音が聞こえると、家の堺の壁をドンドンと叩き、「うるさい!」と怒鳴り声をあげ、管理会社に騒音苦情を入れた。
管理会社から私は注意の電話をもらったが、その電話で、通常の生活音で壁を叩かれた恐怖を告げ、その異常さを管理会社に伝えた。
その後も、隣は、エスカレートしてちょっとした音で、怒鳴り散らしていた。
季節は夏にになり、他の住民からもその怒鳴り声に対して苦情が、警察や管理会社に通報されるようになり、騒がしい毎日で、私はダメもとで、八卦鏡を隣に向けて壁に吊るした。
その後、1週間旅行して私がいない間に、その隣人は大量のごみを残して引っ越していた。
八卦鏡が効いたのか、他の住民のおかげなのかはわからない。でも、私はもっと長期戦になると思っていたので、八卦鏡の効果と思えた。
ミラーボールマジック
職場での話。原因は不明。
もしかしたら、その人が良く思われたい相手(または複数の人)が私に愛想が良かったことから生じた嫉妬だったのかもしれない。
だとしたら、それは日頃のその人自身の態度に問題がある。周りはわかっているが、なぜかその人は気付かない。その人の前で私は目立ってしまったのが災難の始まりだったのかもしれない。
約1か月、強い恨みの視線を感じていた。時には頭痛がするほどで、もう我慢の限界だと思った時に、物理的に、その視線の人との距離をつくってほしいと、上司に頼んだが、仕事に好き嫌いは通用しないと断られた。
もう限界だったので、やりたくなかったが、「私の周り360度を鏡で覆うイメージをして、その視線の主が私を見た時、その人は私が作った鏡に映る自身を見ることになる」と意図した。
私はそのミラーボールの中に入ってその視線は目の前でその人に跳ね返されるので、もう私に届くことはない設定だ。
その後、その人は何らかの行動を起こし、私をはめようとしたが、そのことで、私から上記の話を聞いていた上司はその人が故意に私を追い詰めていることを確認した。
それでやっと私のための対策:物理的距離をとってもらえた。
さらに、なんとその翌週からその人は急に腰痛を理由に職場からいなくなった。
このミラーボールマジックが自分を守るためとはいえ、よかったのか、わるかったのかはわからない。こういうマジックは出来るだけ使わないで済むなら使いたくない。
でも、同じことが起こったら、また、やるかもしれない。
そうならないように、不要の敵はもう作りたくない。敵も味方もない世界に住んでいたい。 目玉のお守りがその役目を果してくれて、敵も味方もない世界で、安心して誰とでもお互いに中立の立場で協力して仕事ができるなら有難くその目玉の効果をたのしもうと思う。
香りの魔法
好きな香りを身に着けると、自分にあった素敵な友人たちが人生に現れ、合わない人たちが、すみやかに私の人生から自然にきえていく。これは不思議なことだ。
合わない人に無理に頑張って合わせていたころ、そのストレスを感じる人たちのために、好きな香りを控えて、好きな音楽も控えた。それらを彼らが嫌がるのを知っていたから。
でも、ある時から、自分が好きなら、自分の好きも、もっと大事にしていくのが、普通だし、とても当たり前と思うようになった。
だから、もう、好きなものに制限をかけない。
すると、私が好きなものを、「嫌」とか「くさい」とかで、私に合わない人が、遠ざかっていくのだ。後を追わない。もともと、合わなかった人たちだから。
好きな香りは、そうして、居心地のよい環境に私を導く。
これまた、有難いことだ。
では、白い惑星の魔法使い:真愛菜でした。